日本TFT協会 会長 精神科医 佐藤克彦
(2011.4.29.-5.5)
【はじめに】
このたびの東日本大震災において、日本TFT協会は、医療機関からの要請を受けて、7日間のゴールデンウィークに宮城県山元町の病院を拠点とした災害支援を行った。公的機関では援助職の援助は後回しにされがちである。それは公的機関の性質上、やむにやまれないことであるが、援助職こそが支えられなければ、そして敬意をもって大切にされなければ、被災地の援助は成り立たない。
そこで私たち日本TFT協会は、私的機関として、「援助職の援助」を主眼に置いた活動を行った。一方で病院担当者の方から避難所の巡回活動をご提案いただき、現場保健師との日程調整まで行っていただいた。そのため私たちは、避難所の方々への直接的な援助までも行うことができ、個別・グループ・避難所含め100名ほどの地元の人たちと関わった。
精神科医2名、カウンセラー2名、看護師1名の合計5名が互いの得意分野を生かしながら、それぞれに並行して活動を行った。ゆえにその全体像をまとめるのは至難の業である。したがってこの記録も、あくまで「私の」とらえた活動報告であることをお断りしておきたい。願わくば個別性のなかに普遍性があらんことを・・・などと期待している。この私の拙い記録から、被災地の方々のために役立つような普遍的な何かが、少しでも見出せたなら幸いである。
【1日目】-2011.4.29.-
東京から2台の車で早朝出発した。東北自動車道は大渋滞だった。サービスエリアも渋滞で休憩もほとんど取れず10時間、夕暮れ時にようやく山元町の病院に到着、すぐに病院担当者と打ち合わせに入り、他のメンバーは個別相談に入った。
打ち合わせでは大きな方針が確認・共有された。それは第一に、この支援ボランティア活動は決して「TFTのための」活動ではなく、あくまで「被災地の方々のための」活動であること、したがって第二に、被災地の方々に役立つことこそを最優先とし、その限りにおいてTFTを活用していくこと、ゆえに第三に、ときにはTFTを使わないこともあるし他の方法も必要に応じて柔軟に活用していくことが確認された。また、公的機関ではどうしても援助職の援助は後回しにされがちであり、だからこそ私的機関として日本TFT協会は、援助職の援助を大切にしていきたいという方針を伝え、ご理解をいただいた。
【2日目】-2011.4.30.-
チームの中で、個別相談、グループ相談、避難所に分かれて活動を行った。
私は午前中、周辺施設の管理職の方と面談を行い、被災状況やこれまでの経緯などを教えていただいた。こちらからはスタッフのケアを中心とした心理教育のあり方や、今後の対応についての若干の助言をさせていただいた。
援助職とは援助を与える職業であるがゆえに、自分自身が逆の立場に立って援助を求めることがやりにくい職業である。管理職とは従業員を管理すると同時に援助を与える職業であるがゆえに、自分自身が逆の立場に立って援助を求めることがやりにくい職業である。しかも管理職はその役職の少なさの分だけ相談先が少ない立場であるため、どうしても一人で抱えこんで孤独になりがちである。すなわち援助職の管理職は、三重に援助を求めにくい立場であり、逆に言えば三重に、敬意とねぎらいと援助を得るに値する立場と言えるのではないだろうか。私はそこに想いを馳せながら、「同じ援助職」という同業者としてのつながりを確認しつつ、援助することを心がけた。
午後は、現場担当保健師の方との打ち合わせを行い、避難所の様子を詳しく教えていただいた。別の「こころのケア」チームが隔日で保健師も含めた心のケアを行っていることが確認され、まだ回っていない人たちをカバーすることにした。
夜は、別の施設職員の方々向けにグループワークを実施した。前半はTFTの実践法を紹介し、後半は他メンバーが数名の個別対応を行い、私は管理職の方々をメインに、スタッフへの心のケアを中心とした対話を行った。
【3日目】―2011.5.1.―
病院や施設でのスタッフへの個別相談と、避難所訪問の二手に分かれて臨機応変に対応した。私は臨床心理士とペアで、避難所訪問を中心に活動した。
避難所ではプライバシーの確保が難しい。また、日々のやりくりもしていかなければならない。過去を振り返り気持ちの整理をしようにも、実際にはしにくいし、実際問題としてしている場合でもない…と言えるかもしれない。このような状況のなかで、どのような「心のケア」ができるのだろうか。
「こころのケアに参りました」と声をかけても、「わざわざ遠いところからご苦労様ですねえ」とねぎらってもらう一方で、「ウチは間に合ってますから。もっと大変な人がいますから…」などと遠慮されてしまうことがあったがそれも無理のないことだろう。
そんな避難所の方々との対話をしていく中で私たちは、TFTを「長引く避難生活の中で生じている、体の凝りや痛みに対する、自分でもできるツボ押しの方法」として紹介することが増えていった。(TFTは体の凝りや痛みにも一定程度の効果が期待できる。TFTならプロの鍼灸師や指圧師がいなくとも自分でツボ押しができる)。すると「じゃあ、ちょっとやってみようかな」と乗り気になっていたけることが多かった。そしてさっそく痛みのアルゴリズムを行うと凝りや痛みが一定程度、緩和がされる。ホッと一息。
そして「体の凝りや痛みってストレスからも来るでしょう?としたら、ストレスに対するツボ押しもあって、それをやってみてもいいかも知れません」。そんなふうに追加して、不安・ストレス・トラウマのアルゴリズムを一緒に施行。グッと症状が緩和され、「いやあ・・・ずいぶん楽になったなあ・・・ところでストレスと言えばねえ・・・」と被災した出来事や現在の悩みを語っていただける。
それらに対してもTFT。スッと楽になった。憑き物が取れたような感じ。頭に鮮明に染み付いていた記憶が薄れた。ついさっきまで追い詰められ、思いつめていたのに、視野が広がって、デンと構えられるようになった。問題から距離を置けて、落ち着いた。失った家族のつらい記憶がグルグル回っていたのが収まって、家族との楽しい記憶を思いだせるようになった…等々、さまざまな効果を体感していただけた。
締めくくりでは例えば、「こんな状況では苦しさを完全に解消することは無理かも知れません。でもその苦しさがあまりに大きすぎると立ち往生してしまい、一歩も前に進めなくなります。だからその苦しさを、ほどほどの量に減らすとか、ちょっとの間だけ脇に置くとかして、休めるように、あるいは前に進めるように、TFTを活用してみてください」などとお伝えした。
【4日目】―2011.5.2.―
この日も個別相談とグループ相談、避難所に分かれて活動した。
午後は医療管理職を対象としたグループワークを行った。ASD/PTSDの心理教育を行い、長時間暴露療法やEMDR等を含めたいくつかのPTSDの治療法の情報提供も行った。
TFTはこれらのなかでも、副作用を心配せずにセルフケアとしても活用できるという特徴があることを説明し、実演・実習を行った。またPTSD以外にも活用可能であることを以下のように説明した。
「このような状況では、ある程度の不安は当然だし、ゼロにもならない。それにそもそも不安というのは、不安であるがゆえに危険を回避できたりもするのだから、本当は必要で大切なもの。でも大きすぎて頭にこびりついてしまい、そのせいで為すべきことが為せなくなってしまったら逆効果。だからそういうときに、その不安をちょっと横においたり、ちょっとゴシゴシと減らしたりするのにもTFTを使うとよいでしょう」。
夜は森川理事長によるTFTの講演会が行われた。医療、教育、役所、自衛隊、ボランティア、一般の方々など、みなさん多忙な中60名以上が参加してくれた。「不安や体の凝りなどの不快な感情・身体感覚によって前に進めなくなるのを、それらをちょっと脇に置くことで前に進めるようになる」という紹介で、痛みとトラウマのアルゴリム・鎖骨呼吸法を紹介された。鎖骨呼吸法では居眠りする方々も見られ、今までずっと緊張状態だったところでこれが若干のリセットになったかもしれないと期待された。
私は講演会の前置きとして5分程度、挨拶することになり、以下の内容をお伝えした。
①今回の震災によって、皆さん、それぞれ、様々な(自分にとって)意外と思われるストレス反応をしているかもしれない。でもこれらの反応は、皆さんが異常なのではなく、事態が異常なのである。そして異常な事態に対して正常な反応をしているだけなのである。
②それらの反応のなかでも、「自分はこれほどまでに弱かったのか」とか、「我々の故郷はこれほどまでに脆いものなのか」などと考えて、自分を責めたり、いじめたりしてしまうかも知れない。
しかしそうやって自分を責めていじめること自体もまた、異常な事態に対する正常な反応なのだから、そのことで自分を責めたりいじめたりする必要はないのだということ。受け入れ、許し、認めていただきたい。
③なかでも「自分のやり方はこれでいいのだろうか?」「本当に自分は役に立っているのだろうか?有害なことはしていやしないだろうか?」と自信を失っている方もいらっしゃるかもしれない。
しかし今回のような大きな震災は、我々の誰一人として経験していないのである。したがって我々は等しく初心者なのであり、誰も正しい方法を知らないのだ。だからどうか、自信がないからといって、最善の方法を知らないからといって、ご自分を責めないでいただきたい。こんな自分を受け入れ、許し、認めていただきたい。
そのようにご自分のことをあるがまま受け入れていただいたうえで、さらに少しでも気持ちが楽になれるように、TFTをご活用いただきたい。
【5日目】―2011.5.3.―
前日と同様に個別相談と避難所に分かれて活動した。脇道に逸れるが、ここでは、その日にまわった避難所で体験した、ミニ・コンサートについて紹介したい。
それは(自らも被災者である)地元の太鼓のサークルによって開催された慰問のミニ・コンサートであった。この太鼓サークルは、三陸の被災地にも呼ばれており、そこでも互いに励まし合うためのコンサートをするとのことであった。太鼓などの楽器の一部は津波に流され、演奏者も本来の人数より少なく、普段よりちょっと迫力に欠ける、さみしい演奏なのだという。
しかしいざ始まってみれば、その十数人の太鼓集団による演奏は、祈るように、叫ぶように、避難所中にこだました。どんな困難にぶつかろうとも決して絶えることのなく躍動し続ける、たくましき生命の荒ぶる鼓動。それを直接体に教えてくれる力強い太鼓の響きが、私たちの体を文字通り震わせた。暖かい拍手、観客との一体感。
これもまた、ピア・カウンセリングの見事な一形態なのだろう。これは「地元」の「太鼓」の「サークル」であるがゆえにできることであり、「部外者」の「心」の「ボランティア」ではできない癒しなのだろう。それがここに、厳然として存在していることを感じさせられた。
午後には、活動の総括として、地元の保健師さんたちと打ち合わせ、災害精神医学における全体の経過についての説明を行った。ここでも、お互いの本音や我々の今後の活動予定についてシェアできる貴重な時間となった。
【6日目】―2011.5.4.―
山元町での第一陣活動の最終日である。最後に一番の窓口になって周辺施設や避難所に奔放いただいた医療機関スタッフとお互いの労をねぎらい、佐藤は病院近辺の被災状況を見学した。
病院は小高い場所に建っている。数分歩くと下り坂になっており、下がったところから先は一面にがれきの山であった。一瞬、戦争による焼け野原のような錯覚に陥る。しかしそれは燃えてはいない。焦げくさくもない。湿っている。破壊されたそれらの建物や家具や日常品や衣服はすべて、泥まみれになっているのである。
少し坂を登った線から先は何事もなかったのようなのどかな緑に包まれ、住居があり、田畑があり、花々が咲き乱れていた。農家の方が農作業をしている。日常がそこにあった。再び下り坂のほうを振り返ると一面が真茶色である。はるか遠くに松林が見える。ああ、そこが海岸線なのかと分かる。海岸線からまさに自分が立っているここまでの間がずっと破壊されまっ平らにされてしまったのだと実感した。
避難所で出会ったある高齢の女性が語ってくれた。家族を失い、自宅を失い、田畑を失い、着のみ着のままの自分だけが残った。でもここ(避難所)はみんな一緒。だから大丈夫。つらいのもみんないっしょ。だから大丈夫。でもちょっと外を見ると、普通に農作業をしているのが見える。それがつらい。
ある一線を境にこれほどまでに運命が分かれてしまう。不平等が生まれてしまう。これが津波被害の最も特徴的で残酷な面なのかも知れない。私たち、援助職は、この点を念頭において、様々な罪悪感や怒りに向き合っていくことが肝要と思われる。
午後からは今後の活動のために、石巻の施設訪問、次いで郡山での活動打ち合わせを行い、翌日東京に帰着した。
【さいごに】
このたびの災害で犠牲になられた方々には深く哀悼の意を表すると共に、被災された皆様には謹んで心よりお見舞い申し上げたい。
そして、支援活動にご協力いただいたみなさまには深く感謝を申し上げたい。みなさんのご理解、ご援助とご協力なしに私たちの活動はありえなかった。(特に、病院の責任者になっていただいた先生と、全活動の窓口をしていただいた先生、ならびに保健所訪問の調整に奔走いただいた保健師の方には、並々ならぬご配慮とご足労をいただいた)。
支援活動に尽力をされている世界中の人々にもエールを送りたい。私たちも支援活動を続けていく。
がんばろう?・・・いやいや、そうじゃない。
何度もがんばってきたんだ。
そして今もまた、十分にがんばっているんだ。人類。